「他人の正解」を生きるのをやめた日:1ミリの前進を祝福すべき理由
社会の平均点を目指すのをやめたら、心に心地いい余白が生まれた
いつもサブスタを読んでくださり、ありがとうございます。
ここでは、SNSの短い文章では書ききれない、私の心の裏側にあるドロドロした部分も含めて、少し深いお話をさせてください。
私たちはいつから、こんなに完璧を求められるようになってしまったのでしょう。
40代、50代と年齢を重ねる中で、家庭でも職場でも「ちゃんとした大人」の役割を求められ、気づけば自分の心の声を後回しにすることが当たり前になっていませんか?
特にWEBの世界にいると、他の人のわかりやすい「成功」が嫌でも目に入ります。
かつての私は、それを見るたびに自分の選択が間違っていたのではないかと、スマホを何度も見ることがありました。
でも、それって本当に私たちが望む幸せなのでしょうか。
「ちゃんとした大人」という見えない檻
振り返ってみると、私たちはこれまでの人生で、常に誰かが決めた正解を追いかけるようにされてきた気がします。
学校のテスト、就職活動、結婚や子育て。
そして40代や50代を迎えると、今度は大人の余裕や自立した女性としての成功といった、新たなハードルが目の前に現れがちです。
真面目に、状況をコントロールしようと一生懸命に生きてきた人ほど、その期待に応えようと自分をすり減らしてしまいます。
「私がもっと頑張れば」
「周りはみんなスマートにこなしているのに」
そうやって自分を責めるループ。
しかし、その「正解」は本当にあなたが心から望んだものでしょうか。
WEBの光と、深夜の孤独
インターネットやSNSは、私たちの可能性を広げてくれる一方で、時に残酷な鏡となります。
タイムラインに流れる、華やかな起業ストーリー、洗練された丁寧な暮らし、次々と成果を出す仲間の姿。
かつての私は、それらを見るたびに胸が締め付けられるような焦燥感。
自分のやってきたことすべてがちっぽけに思え、夜ベッドに入っても、このままでいいのだろうかと天井を見つめる日々。
他人の光が眩しすぎて、自分の足元が暗闇に見えていたのです。
「他人の正解」を生きるのをやめる。それは、自分の人生の主権を自分に取り戻すことです。
1ミリの前進を、自分で祝福するということ
他人の100歩と、自分の1歩を比べる必要はどこにもありません。
私たちが本当に祝福すべきは、他人の目には見えないほどの「小さな1ミリの変化」です。
たとえば
いつもなら他人の顔色を伺って引き受けてしまう場面で、小さく「NO」と言えたこと
「ちゃんとしなきゃ」という思い込みを一度手放して、5分だけソファで深呼吸できたこと
他人の眩しい投稿を見た瞬間に、そっとスマホを裏返して自分の時間を守れたこと
世間一般の基準から見たら、それは変化とも呼べないくらい小さなことかもしれません。
でも、この1ミリの選択の積み重ねこそが、他人に振り回されない自分軸を形作っていくんです。
完璧な人なんて、この世界には存在しません。
社会や他人が作った平均点を超えるために命を燃やすのは、もう終わりにしませんか?
【みなさんの静かな本音をお聞かせください】
私たちはいつの間にか、社会が作った平均点を超えようと必死になりすぎていたのかもしれません。
あなたが今、つい人と比べてしまう一番の理由は何だと思いますか?
誰かに遠慮したり、良い子ぶったりする必要はありません。
コメント欄で、あなたの静かな本音をぜひ教えてください。
一つひとつ、大切に読ませていただきます。



過去の自分から1ミリでも前進する。
毎日これを繰り返すのみですよね!
この積み重ねが気づけば大きな成長になってるなと思います😊